• 2024年7月17日 12:32 AM

環境エピジェネティクス 研究所

Laboratory of Environmental Epigenetics

05.ニワトリCreeper遺伝子 後編

  • ホーム
  • 05.ニワトリCreeper遺伝子 後編

このCreeper遺伝子はもともと、鹿児島の薩摩地鶏の地頭鶏(じとっこ)から導入され、育種学研究室で継代維持されていたものでした。当時英国の動物形態遺伝学の大御所W. Landauer教授がこの遺伝子の解明に挑み、すでに10報以上の論文を出版しておられましたが、その表現型機序の解明は全く未解決のままでした。そのために私はこの遺伝子を博士論文の研究テーマに取り上げたわけです。私はそれまでに育種学研究室で通常的に行われていた、枚挙的な遺伝子解析研究にはあきたらず、この遺伝子を用いて、是非「発生遺伝学」を研究してみたいと思っていました。

 

余談ですが、薩摩の地頭といえば、相模の渋谷氏は、源頼朝に命じられ、千葉氏滅亡後に九州の北薩摩の地頭として、長男を相模に残して、5人の兄弟がその地に赴任しました。5人の兄弟はいずれもその地名を取って、薩摩東郷氏、祁答院氏、鶴田氏、高城氏および入来院氏にそれぞれに分家しました。薩摩東郷氏の末裔が日露戦争の日本海海戦で殊勲をあげた東郷平八郎元帥です。そのために神奈川県綾瀬市の城山公園(かっての相模渋谷氏の居城跡)には「東郷平八郎元帥発祥の地」との石碑がたっています。渋谷一族は、薩摩の守護であった島津家とのたびたびの抗争の末、幕末まで残ったのは入来院家だけで、その子孫は現在まで800年余の歴史を有して存在しているとのことです(今は入来氏と称しているらしい)。これらのことが、私の姓である澁谷とつながりがあるかどうかは、残念ながら今のところ不明ですが、家系調査は遺伝学の守備範囲でもありますので、機会があれば是非調べてみたいと思っています。

 

私は養蚕学研究室の甲斐英則さん(鳥取大学名誉教授)と農学研究科からは二人だけ、土曜日の午後に隣の理学研究科の「発生セミナー」に参加し、竹市雅俊さん(京都大学名誉教授・元理化学研究所(理研)多細胞発生生物学研究センター長・細胞接着分子カドヘリンの発見者)など理学部の方々と “Cold Spring Harbour Symposium” シリーズの分厚い「抗体産生」の本を1年間輪読しました。このセミナーも私が遺伝研に内地留学し、竹市さんが京都大学の発生学の助手(教授は岡田節人教授)になられたことでその後の動向は不明です。竹市さんは当時から大変な切れ者で、その突っ込みはとても厳しく、当番の私がかなり準備をしてきても、いつも彼から論破されていました。

竹市さんは多細胞生物の細胞接着分子カドヘリンを発見し、一時はNobel賞の候補者としても脚光を浴びていましたが、残念ながら現在まで受賞されてはいません。竹市さんはカドヘリンの発見過程で、抗体技術を十分に活用されていますが、もしかしてあの時のセミナーで勉強した、抗体を駆使されて発見されたのならば痛快なことです。竹市さんは例のSTAP細胞事件で理研のセンター長を引退され、笹井芳樹副所長(高校の後輩らしい)は自殺に追い込まれるという痛ましい事件があったことは、まだ私の記憶に残っています。特にこの事件でES細胞を用いて脳神経の構築という世界的な業績を挙げておられた笹井さんを失ったことは日本の大きな損失でした。笹井さんの業績も十分にNobel賞に値する位のものだったと思います。

このCreeper遺伝子の発生遺伝学についての解析は振り返ってみると、当時の知識や技術の未発達のため、隔靴掻痒の感は否めないのは致し方ないであろう。しかし、博士課程を満了して、家畜育種学教室の研究生の頃、当時新設の「三菱化成生命科学研究所」の細胞生物部の研究員の募集があった。定員は一人であり、当時主任研究員であった柳沢桂子さんの下のポストであった。どういう訳か三十数名の応募者の中から、5人が一次審査を突破した。

5人はそれぞれ北大、東大、名大、京大それに阪大の出身者でありました。二次試験では、光栄にも生命研の所長予定者である江上不二夫先生に5分間の宣伝の場があたえられた。私は精一杯、Creeper遺伝子の発生遺伝学のつたない成果を発表した。しかし、内実は東大理学部の西郷薫さん(後に東大・理学部教授)に決まっていたらしく、不合格の通知をもらってもそれが当然だと思い、むしろ5人に残ったことを喜んでいました。