• 2024年5月15日 2:54 PM

環境エピジェネティクス 研究所

Laboratory of Environmental Epigenetics

続澁声徹語 第42回 「ヤクルトスワローズ」

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 私は出身地が名古屋なので、中日ファンだと思われているが、本当はヤクルトスワローズファンかも知れない。今は山田哲人が大好きで、契約更改で7年間の長期契約で残留したので安心した。山田選手が、トリプルスリーを3度も取っているのは素晴らしい。こんな選手は日本のプロ野球選手では他にはいない。

 スワローズは、国鉄労働組合の球団として創設された。名前は特急列車の「つばめ号」に由来するという。その後、スポンサーは時々変わり、最近はずっと「ヤクルト」だ。私がスワローズを好きになったのは、金田正一の投球にほれ込んだことがあり、その女房役であった根来という捕手も大好きだった。

 また本拠の野球場が神宮球場ということも好ましい。ここは学生野球の本拠地で、ここではたびたび早慶戦を見たこともある。私は高校時代にあった、「早慶6連戦」をよく覚えている。早稲田の安藤という下手投げの投手が、そのうちの5戦に登板しという。3つの引き分けを挟んだ末に、早稲田がやっと勝利を挙げて、優勝したのを今でも鮮明に覚えている。

ずっと昔には町田、佐藤などの強打者もおり、その後若松の打撃が好きであった。彼はノンプロの出身で、どうしてもプロ野球に入りたくて、奥さんに、駄目だったら屋台を引いて稼ぐという条件で入団したというのもいい。彼はプロ野球の最高打率を残しているが、監督としては駄目だった。また、古田捕手も大好きで、故野村監督の教え子であったが、監督としてはやはり成功しなかった。

スワローズには大リーグで成功した選手が多い。例をあげれば伊東(投手)、青木(外野手)などである。中でも青木は大リーグで一応活躍した後に日本で再びプレーをして年齢に負けずに活躍してくれており、早稲田からのファンだ。

 すでに引退してしまったが、武内晋一という選手が好きだった。彼は内外野どこでも守れるというユーチリティプレーヤーであった。彼の一塁手としての守備は絶品であった。彼は智辯学園から早稲田大学を出ているが、ともに主将として常に主砲で打撃を誇っていたが、スワローズではついに大成出来なかった。
     それぞれに上がる歓声散る公孫樹  徹    (01/30/21)