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環境エピジェネティクス 研究所

Laboratory of Environmental Epigenetics

07.マウス始原生殖細胞のENUによる突然変異の誘発 後編

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1979年にアメリカOak Ridge National Laboratory (ORNL) のW. L. Russell博士(Bill)が、ENUがマウス精祖細胞(成体での精子の大元の細胞)に対して、放射線よりも高い頻度で塩基置換(DNA塩基の置き換え)を誘発することをPro. N. A. S誌に発表したことは、私に大きな衝撃を与えました。そこで「ENUによるマウスPGCの突然変異の誘発」についての研究を「マウス特定座位試験」を用いて開始しました。この試験は毛色遺伝子が優性である親マウス(雌あるいは雄)のさまざまな発達時期の生殖細胞に被験物質を投与し、劣性ホモマウスと交配して、産まれてきたF1の毛色の変化から、誘発された劣性突然変異を検出するもので、結果を出すには膨大な子供を調べる必要です(7)。

PGCにおいては、得られたF1をもう1世代交配して得られたF2を調べることになります(8)。私はこの試験で対照群を含めて約10万匹のF1マウスを調べました。この数はおそらくは日本記録ですが、今では動物倫理上許されない試験であるかも知れません。

今では国立衛研の元変異遺伝部長の能美健彦さんが中心となって開発されたgpt ⊿マウスによって、細胞レベルで生体内の突然変異が容易に検出できるようになりました。この開発には当時センターに在籍していた加藤基恵氏が貢献したことから、上司であった私が共著者になっていることはいささか面映ゆいことです。

この試験に必要な毛色が劣性ホモに固定されたテスター系マウスは、土川清先生(元遺伝研・変異遺伝部)が確立された近交系のPW系統を分与いただき、動物業者によってSPF化された後に大量に実験に用いました(9)。これに要した研究費(ほとんどが動物代および飼料代)は当時の厚生省の委託研究費から出ており、これをふんだんに使うことができたのは、当時の副所長の岩原繁雄先生(元国立衛研・衛生微生物部長)のご尽力の賜物でした。先生はJICAによるPhilippineの衛生試験所の設立に単身で赴かれ、残念なことに帰国後まもなく、膀胱がんで亡くなられました。生前先生には何もお返しが出来なかったことがいまでも悔やまれます。

先生はいつも「好きなことをやってごらん」と言ってくださいました。また遺伝研の土川先生を月に一度ぐらいに訪問し、研究上の情報交流をした後に、三島の街で美味しい料理とお酒をご馳走になり、カラオケを一緒にしたことも懐かしい思い出です。時には先生の奥様もご一緒されました。そのとき同行した育種学研究室の後輩の室田哲郎氏は、お酒も飲まずに車で往復してくれました。彼は三菱化成に転出後、ENUによるマウスhemoglobin遺伝子の突然変異誘発の研究で、昭和大学から医学博士号を授与されました(10)が、残念なことに脳腫瘍のため早逝されました。ENUによるPGCの突然変異誘発研究も初めは彼との共同研究から始まったことも懐かしい思い出です。

ちなみにBill先生もこの実験を実施されたのですが、先生はマウスの12.5.日胚のPGCについてのみ実験を行われました。この時期はPGCの性分化が起きる時期で重要であると考えられたことがその理由でした。結果として、先生の実験ではわずかに陽性の結果が得られに過ぎず、実験は途中で打ち切られ、その結果は所内報に発表しただけということをお聞きしました。私はマウスの発生8.5,10.5あるいは13.5日胚PGCにENUを妊娠メスマウスに腹腔内投与する実験を行いました。この投与時期は、以前行ったマウススポットテスト(放射線や化学物質による体細胞の突然変異や細胞死をF1個体の毛色の変化によって観察する試験(14,15)で、試験物質を10.5日胚に投与したことがその理由でした。

私は得られたF1の同腹の雄雌を同じケージでずっと飼育していました。すると対照群からF2が生まれだし、投与容量が高くなるほど、F2の誕生が遅くなることを偶然に発見しました。早速解剖してみると、ENUの用量の増加に伴って精巣が小さくなっていることが確認できました。そこで、前述のBill先生の「ENUによる精祖細胞の突然変異試験」の結果を思い出し、ENUによってPGCでは突然変異が誘発されることを確信しました。

実施してみると結果は明瞭で、PGCの細胞数が少ない8.5及び10.5日胚投与での突然変異頻度は有意に高く検出されましたが、性分化時期の13.5日胚ではやっと陽性結果が得られる程度でした(13,14)。これにはPGC細胞数が少ないことによるクラスター効果が関わっており、数学的な分析をすれば面白い考察ができたものと思いますが、残念ながら数学に堪能ではない私には荷が重すぎ、これ以上解析できませんでした。

1989年のClevelandでの第5回国際変異原学会(ICEM)で私とBill先生のポスターは背中合わせでした。Billは私のポスターを興味深く見て、もっと早い時期に投与すれば良かったのかとつぶやいておられました。ちなみにスポットテストでの最適な投与時期のマウス10.5日胚はLian B. Russell 博士(Lee、Bill先生が再婚されたオーストリア出身の研究者)が推奨したものでした(11)。また、マウススポットでアルキルニトロソ尿素の中でENUに次いで誘発頻度が高かったN-propyl-N-nitrosourea (PNU)については、室田君によって特定座位試験で陽性の結果が得られ、Mutation Researchに発表し、PNUはマウス精祖細胞に突然変異を誘発する5番目の化学物質して認定されました(16)。

関連文献

7.澁谷 徹:マウスを用いる特定座位試験. 続医薬品の開発、「第11巻, 医薬品の変異原性・遺伝毒性」, 広川書店 東京 pp74-83、1991

8.澁谷 徹:遺伝子突然変異を検出する方法. 「抗変異原性・抗発がん性の検出法」

講談社 東京 pp397-405,  1995

9.澁谷 徹:土川先生のPWマウス、「先達土川 清の蒔いた種とそのみのり」土川記念基金論文集」40-42,2002

10.T. Murota, T. Shibuya and K. Tutikawa: Genetic analysis of an N-ethyl-N-nitorsourea-induced mutation at the hemoglobin locus in mice. Mutation Res. 104: 317-321. 1982

11.澁谷 徹:マウススポットテスト.変異原と毒性:5、169-176、1982

12. Shibuya, T. Murota and K. Tutikawa: Mouse spot tests withalkylnitroso Mutation Res. 104: 311-315, 1982

13.Shibuya T., Murota T., Horiya., N. Matsuda Y., and Hara T. : The induction of recessive mutations in mouse primordial germ cells with N-ethyl-N-nitrosourea. Mutation Res. 290, 235-240, 1993

14.Shibuya T., Horiya N., Matsuda Y., Sakamoto, K., and T. Hara : Dose-dependent induction of recessive mutations with N-ethyl-N-nitrosourea in primordial germ cells in mice. Mutation Res. 357, 219-224. 1996.

15.澁谷 徹:ENUによるマウス始原生殖細胞の突然変異誘発、秦野研究所年報、26、19-35 2003

16.Murota, T, and T. Shibuya: The induction of specific locus mutations wirh N-propyl-N-nitrosourea in stem cell spermatogonia in mice. Mutation Res. 278: 113-115,1991