環境エピジェネティクス 研究所
Laboratory of Environmental Epigenetics
Epigenetics: エピジェネティクス」という言葉に最初に出会ったのは1968年で、もう50年以上も前のことだ。東大で学会があり本郷の古本屋で買った、C.H. Waddington(以下Wad)の”New Patterns in Genetics and Development(1962)だった。彼の英文は難解で、いまだに完読できていない。
WadはEpigeneticsを「遺伝子とその産物とが表現型をもたらすことを研究する生物学の一分野(1942)」と定義し、“Developmental Landscape”を描いた。素晴らしいのは、その次に細胞の分化が、環境と遺伝子の発現で決まることを想定した図である。まだ遺伝子の本体が不明であった時代に、発生と遺伝子との関係を予見していることに驚嘆させられる。遺伝学と発生学とが全く別個な学問であった時代に、これらを遺伝子発現によって、統合させた功績は非常に大きい。
当時私は名古屋大学の農学研究科の院生で、「家畜育種学教室」に所属していた。当時の研究室では、さまざまな動物の遺伝子解析が主流であり、私はこれを「けし粒遺伝学」と揶揄していた。当時から、遺伝子はもっと動的な存在だと思っていた。そこで「ニワトリCreeper遺伝子の発生遺伝学」をテーマに選んだ。この遺伝子作用機作の詳細は、後輩の松田教授らによって2020年に解明された。
Wadのことは、後になって発生生物学の大御所の岡田節人先生(京都大学)の本で知った。先生はご夫婦でEdinburgh 大学のWadの下に留学されている。Wadの最初の言葉が「私はプルーストの“失われた時を求めて”と“源氏物語”の比較に興味があるが、君はどう思うか」であって、驚愕したそうだ。Epigeneticsという卓越した概念を作り出した男は文化面でも型破りの存在であったらしい。
2011-12年の暮から正月にかけてEdinburgh大学を訪問し、“Waddington Building を発見した。しかし看板には”Structural Biology”とあり、Epigeneticsではなかったのは残念だった。Wadはこの分野でも開拓者であったらしい。
大学の別棟ではC. Auerbachの記念碑も発見した。彼女はWadの後の遺伝学の教授であったが、生年は逆である。Wad のEpigeneticsはAuerbachの”Chemical Mutagenesis”よりも古いのだ。しかし私の「研究の旅」はこの逆を歩んでいる。
バグパイプ熄みて古城の霧深し 徹 (04/01/2020)