• 2024年4月23日 5:02 AM

環境エピジェネティクス 研究所

Laboratory of Environmental Epigenetics

第2回「金田正一投手」

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プロ野球で前人未到の最多勝利数400勝を誇った金田正一氏が亡くなった。私にとっては、彼を抜きにして日本のプロ野球を語ることは出来ないほど大きな影響を受けた。彼は愛知県生まれのいわゆる在日であり、生活には大変苦労をしたらしい。生涯を一貫してお山の大将の投手・監督であったと思う。

 

享栄高校2年の夏に甲子園大会の愛知県予選で敗北すると、家庭のためにプロ野球入りを志望した。しかし、希望した中日ドラゴンズは彼を採ってくれなかった。彼は国鉄球場での練習中に、創設されたばかりの国鉄スワローズの監督西垣監督に見いだされて国鉄に入団した。17歳であったという。国鉄球場は名古屋の八事にあり、第1回の選抜野球大会を開催したという記念碑が残っている。

 

私は小・中学校時代には熱烈な中日ファンで、よくナゴヤ球場で観戦をした。初めて金田投手を見て、彼の速球の伸びは素晴らしくたちまち魅了された。しかし、投球は素晴らしいが、味方の打線が振るわず、結局国鉄は彼を援護することが出来なく、彼が敗戦投手になってしまうことが多かった。つまり国鉄にいては、彼の投球がいくら良くても、勝利投手になることは非常に難しかったのだ。

 

ナゴヤ球場では、中日の選手ではないので、金田は観客から罵倒された。それを聞いて私の野球に対する考え方が変わった。野球とはチーム単位で戦うものだが、個々の選手の集合から成り立っているのだ。私は、それからはチームよりも選手そのものに注目することにした。だから、私はいつまでも「アンチジャイアンツ」であり、「読売巨人軍」などと聞くと体に虫唾が走るのだ。

 

彼は試合前の練習から、他の選手とは全く異なっていた。一人で外野を走り自己流の体操をしていた。投球開始前には、プレートから一歩下がって投げ打者を幻惑していた。交代の時にもなかなかベンチから出てこなかったこと多かった。

 

世間では金田投手の勝利数を賞賛するが、私はむしろ彼の敗戦数の298敗に注目したい。これだけ敗戦数を重ねることは並みの投手ではできないだろう。私は金田投手の勲章としてむしろ敗戦数を賞賛したいと思う。

球場を包む歓声秋あかね     徹     (04 /11 / 2020