• 2024年12月13日 8:35 PM

環境エピジェネティクス 研究所

Laboratory of Environmental Epigenetics

第50回「新橋」

 新橋というのはサラリーマンの町の代名詞のようで、テレビでの街頭インタビューにはよく登場する。そして、いつも中年のサラリーマンらしき人が少しお酒に酔ってそれに応じている光景が映し出される。私も一時田町の労働安全関連の事務所に在籍していたときには、一人でもよくこの町をうろつき、飲んだ覚えがある。

たしかに新橋の通りには多くの飲食店があり、勤め帰りのサラリーマンがたむろしていた。料金は他の東京の盛り場よりはやや安いという印象があり、私も2,3のお気に入りの店があった。最近そのあたりを歩いてみたが、それがどこかを探し出すことは出来なかった。新橋もご多分に漏れず「コロナ禍」で閑散としているようである。

新橋にはSL広場があるが、あの機関車がC11であることには、いささか不満である。鉄道唱歌は、「汽笛一斉新橋を」で始まっており、ここは日本の鉄道発祥の地である。そこに小型のC11が陳列されているのには大いに不満で、「特急つばめ」をけん引したC57こそがふさわしいと密かに思っている。

 ある学会の会計幹事をやっている時に、東新橋にあった印刷屋に仕事を依頼していたことがあって、たびたび訪問したとことがあった。この会社はもともと大きな造船会社の図面を作る部門が独立したもので、万事が鷹揚で、請求書を早く出してくれと言ってもなかなかでき来ずに、苦労させられたことをよく覚えている。

先日、新橋からでている「ゆりかもめ」に乗る機会があり、終点の有明まで乗ってみた。これで廻る東京は全く新しく目を見張るものがあるが、どこか現実感が乏しいように思われる。どうして「ゆりかもめ」が何だか古めかしい新橋から出ているのかが不思議である。この駅には友人の「平松礼二画伯」の大きな陶板画が掲げてある。このあたりの風景は何となく新橋にはに使わなくないといつも思っている。何と言っても「ゆりかもめ」はお台場などの新しい東京の名所とつながっているのだ。
新橋に小さな稲荷ガード横   徹    (03/27/21)